天皇賞・秋(GI)

10月31日東京競馬場 2000m(芝)定量 3歳以上オープン

秋の中距離王者決定戦

歴史

天皇賞(秋)は、東京競馬場・芝2000mを舞台に古馬最高の栄誉をかけて争われる、長い歴史と伝統を誇る競走である。

■天皇賞の前身
1905年(明治38年)の5月6日に横浜の日本レースクラブが、明治天皇から「菊花御紋付銀製花盛器」を下賜されたことにより創設した『エンペラーズカップ』が天皇賞の前身。翌1906年(明治39年)には東京競馬倶楽部にも御賞典が下賜され、その後、阪神、福島、札幌、函館、小倉の計7つの競馬倶楽部で『帝室御賞典競走』として行われていた。

■第1回
1936年(昭和11年)に『日本競馬会』が設立されたのち、翌1937年(昭和12年)に各競馬倶楽部が『日本競馬会』に統合されたのを機に、『帝室御賞典競走』は春が阪神、秋が東京と、東西で年2回開催されることとなり、同年の秋季のレースが第1回の天皇賞とみなされ、東京競馬場・芝2600mで行われた。 その後、第2回の1938年(昭和13年)春は阪神競馬場・芝2700mで、4歳(現3歳)以上の馬によって争われ、第3回の1938年秋からは、「5歳(現4歳)以上、芝3200m」の競走条件となり、能力検定競走として非公開で開催された1944年(昭和19年)春まで『帝室御賞典競走』の名称で行われていた。

■戦争による中断と再開
1944年(昭和19年)秋季から、第二次世界大戦の影響により中断されたが、戦後の1947年(昭和22年)春に『平和賞』の名前で復活したのち、同年秋から現在の『天皇賞』に改称され、春は京都競馬場、秋は東京競馬場で開催されることになった。

■競走条件の変遷
1981年(昭和56年)春からは『勝ち抜き制』が廃止されて、過去の優勝馬にも出走権が与えられた。これまで、タマモクロス(1988年春・秋)、スーパークリーク(1989年秋、1990年春)、メジロマックイーン(1991年・1992年春)、ライスシャワー(1993年・1995年春)、スペシャルウィーク(1999年春・秋)、テイエムオペラオー(2000年春・秋、2001年春)、シンボリクリスエス(2002年・2003年秋)、メイショウサムソン(2007年春・秋)そしてフェノーメノ(2013年・2014年春)の9頭が2回以上天皇賞に優勝している。

長年、『3200m・5歳(現4歳)以上』という条件で行われていた天皇賞であるが、1984年(昭和59年)の競馬番組の変革により、秋は距離を芝2000mに短縮し、さらに1987年(昭和62年)から秋の天皇賞には4歳(現3歳)馬が出走できるように条件が変更された。これにより、春は5歳(現4歳)以上のステイヤー日本一を決めるレース、秋は4歳(現3歳)以上の中距離ナンバー1決定戦と、その性格が明確に分けられた。

また、天皇賞は長い間、出走資格を内国産の牡馬・牝馬のみに限定してきたが、2000年(平成12年)春に初めて外国産馬に門戸が開かれた。外国産馬の出走可能頭数は、当初2頭以内であったものが、2002年(平成14年)春から最大4頭、2004年(平成16年)秋には5頭までが出走可能となったのち、2005年(平成17年)春に国際競走に指定され、外国馬は5頭まで出走が認められたことを機に、外国産馬の出走頭数制限は撤廃された。さらに、2007年(平成19年)の日本のパートI 国昇格に伴い、外国馬の出走枠が9頭に拡大された。翌2008年(平成20年)より、国際交流競走として競走内容の充実を図る観点から、せん馬の出走が可能となった。

天皇賞(秋)(GI)最新情報

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コースの特徴

東京・芝2000m

1コーナー奥にあるスタート地点から2コーナーに向かっていくレイアウト。2コーナーまでの距離が短いため、外めを通らされると距離のロスが大きい。向正面半ばに上り坂があり、そこから3コーナーにかけて下り。直線は525.9m。直線に向いてすぐ約160mの急な上りがあり、その後約300mはほぼ平坦。坂を上った後に、ゴール前でもう一度末脚を伸ばすことが求められるタフなコース。レース前半を器用に立ち回ることができて、直線でより速い末脚を発揮する能力、タフなコースを押し切れるだけの体力を持つ馬が好走しやすい。

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1年に1度の特別配信

昨年は1分56秒1のレコード
今年の4回東京開催も前半7日間がAコース使用で、後半2日間がBコース使用。昨年は南部杯開催のため例年より1日余分に開催が行われたが、今年も毎日王冠翌日の祝日(月曜日)に開催が行われた。ただ、天皇賞(秋)施行週からのコース替わりというのは例年と同じ。内ラチ沿い(Aコース)から3m外側に仮柵が設けられてのレース。過去10年、このレースは一貫してBコースで行われている。芝は野芝にオーバーシード(イタリアンライグラス)した状態。JRAの公式HPによると、第3回開催終了後、洋芝から野芝へ移行するための更新作業と、傷んだ3〜4コーナー及び正面・向正面の直線部を中心に約19,000平方メートルの芝張替作業を行った模様。芝は順調に生育しており全体的に良好な状態だ。 昨年は本番前週の富士Sが不良馬場で行われたが、翌週の天皇賞(秋)は1分56秒1のレコードタイム。前週の雨ぐらいでは馬場は劣化しない。レース当日が道悪でなければ問題ない。ペース次第では常に好時計が出る。過去10年(02年の中山開催を除く)の平均勝ちタイムは1分58秒1。稍重馬場ぐらいであれば楽に58秒台の決着になる。

1枠有利で、15番ゲートより外は不利
スタート地点は1コーナー奥のポケット。約100m進んだところに左へ曲がる大きなカーブがある。2コーナーまでの距離が短いため、大外枠を引かされるとかなり厳しい。過去10年(中山開催を除く)で8枠を引いて好走したのは03年シンボリクリスエス(1着)、06年アドマイヤムーン(3着)の2頭。馬番で言うと15番ゲートより外は好走馬が少ない。7枠は【3.1.0.19】で好成績だが、すべて13番、14番ゲートでの好走。中ほどの枠は2、3着のケースが多い。よって、内枠が有利で特に1枠は【3.1.1.13】で好成績だ。スタート後は向正面の長い直線を走り、3コーナー手前にさしかかるところで緩い上り坂。3〜4コーナーにかけては下り坂になっている。最後の直線に入ると、途中からなだらかな上り坂(高低差2.1m)。最後の直線距離は525.9mとなっている。

ペースが厳しく差し馬が有利
終始スピードが出るコース形態であることと、レースレベルの高さから11秒台から12秒台前半のラップが長く続くのが特徴。13秒台や10秒台のラップはほとんど刻まれない。前半1000m通過は60秒を切るのが自然だ。レコードとなった昨年は1000m通過が56秒5という超ハイペース。シンボリクリスエスがかった03年も56秒9というハイラップだった。それだけ速い流れになっても中盤でペースがあまり緩まない。後半3ハロンのどこかに12秒台後半のラップが入ることになる。前半から中盤が平均ペースの場合は、そのペースがゴールまで続く。スピードの持続力と最後の瞬発力、そして底力が問われるという極めて熾烈な一戦。まさに国内最強馬決定戦にふさわしい。 過去10年(中山開催を除く)の脚質別成績は逃げ馬が【0.1.0.8】。好走したのは08年ダイワスカーレットただ1頭。先行馬は【2.2.2.26】で勝率6.3%、連対率12.5%、複勝率18.8%。差し馬は【7.4.5.56】で同9.7%、同15.3%、複勝率22.2%。好走馬の数もさることながら勝率などでも差し馬が先行馬を上回っている。追い込み馬は【0.2.2.38】。勝ち鞍はないが、近3年連続で好走馬が出ている。超ハイペースでなくても出番はある。先行して勝利した2頭はメイショウサムソン、ダイワメジャーでありともに皐月賞馬。



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